諏訪大明神絵詞には「外部から建御名方命の神が進入して来た時に、それを迎え撃ったのがモレヤ(洩矢)の神だったが戦いに敗れた」とあり、建御名方命は侵入神で先住民の神は洩矢神とミサクチ神であり、勝った建御名方命は諏訪大明神となり系列から諏訪氏が出て神社の大祝家となり、負けたモレヤ神の子孫の守矢氏は神社の筆頭神官となったそうです。そのため地元の人々は諏訪神と言った場合、建御名方命のことだと思わないそうです。
− 上社前宮本殿 −
『スワ神は遠く上古の「古事記」「日本書紀」の中に見えるが、ここ前宮は古来より諏訪明神の住まう所として生き神となり諏方大祝の居館を在し、神秘にして原始的なミシャグジ神を降して諏訪明神の重要な祭祀・神事を取り行った聖地である。四方に千古の歴史をきざむ御柱を配し精進潔斎に浴した水眼の清流をひかえて鎮座する前宮本殿はその古姿を伝えながら昭和7年に改築された。』
(案内板より)
ミシャグチ神は東日本を中心に信仰された神で「ミサクチ」など多くの呼び名があり、現在も神事のほとんどはミシャグチ神に関わるものだそうです。御頭祭の別名も「ミシャグチの祭り」で、代々上社の神事を取り仕切ってきた守屋氏はミシャグチ神を「ミサクチ神」として祀っていて、アラム・ヘブライ語だとミシャグチは「ミ・イツァク・ティン=イサクに由来する」となるそうです。
木は神を意味するそうで、四隅に配置することで結界となります。諏訪には四隅に御柱を配置した神社が多く、小さな祠にも御柱が配置されているそうです。
− 名水「水眼」の清流 −
『古くから「すいが」と呼ばれ、山中より湧出する清流は、前宮の神域を流れる御手洗川となり、昔からご神水として大切にされた。中世においては、この川のほとりに精進屋を設けて心身を清め、前宮の重要神事をつとめるのに用いたと記録されている。この水眼の源流は、これより約1kmほど登った山中にあるが、昭和5年に著名な地理学者・三沢勝衛先生によって、はじめて科学的調査がされ、その優れた水質は「諏訪史」第二巻にとりあげられている。』
(案内板より)
諏訪大社上社前宮所在地:長野県茅野市宮川2030