布引観音(天台宗布引山釈尊寺)

「牛に引かれて善光寺」伝説発祥の地

パワースポットの本で見かけたので布引観音へ行ってみました。

小諸市の県道40号線沿いに駐車場があり、そこから山の中腹まで参道の階段を延々と登るのですが、ちょっとわかりづらく、一度通り過ぎてしまいました。
案内板を見ると、ここが「牛に引かれて善光寺参り」の伝説発祥の地だと説明があり、布引観音と善光寺が関係あることを、この時はじめて知りました。

− 牛に引かれて善光寺(布引観音の伝説) −
『 昔、信心の薄い老婆が千曲川で布をさらしていると一頭の牛が現れ、その布を角にかけて走り出しました。老婆は驚いて、野を越え、山越え、牛の後を追いかけ、気がつくと善光寺の境内まで来ていました。すると牛は金堂のあたりで突然姿を消しました。
驚きと悲しみに疲れ果てた老婆は、あっけにとられてその場にたたずんでしまいました。日も暮れる頃、一条の光がさし、老婆は霊光の尊さにひざまずいて菩提心を起こし、一夜を金堂にこもって罪悪を詫び家に帰りました。
ある日、布引山を見ると、岩角にあの布が吹き付けられていましたが、断崖絶壁のため取るすべがなく、一心不乱に念じていると布と共に石と化してしまいました。
この布引山の断崖には、今も白く布の形をした岩肌が眺められます。布引観音が牛に化して信心薄い老婆を善光寺阿弥陀如来の許に導いて教化をしたのだそうです。』
(案内板より)

名勝・布岩(左は拡大写真)

伝説通り、山の真ん中に布が吹き付けられているように見えます。拡大してみると、白い何かを塗りつけ固めてあるような感じです。

布引山釈尊寺の案内板

− 布引山釈尊寺 −
『 「牛に引かれて善光寺参り」の伝説で知られる布引山釈尊寺は、神亀元年(七二四)の創建と伝えられています。 天文十七年(一五四八)、武田信玄が楽厳寺入道、布下仁兵衛を攻めたときに兵火にかかって消失したのを、弘治二年(一五五六)望月城主であった滋野左衛門佐が再建しました。その後も享保八年(一七二三)に再び野火のために炎上しています。 現在ある伽藍の多くは、小諸城主牧野周防守康明によって再建されたものです。観音堂内にある「宮殿」は国の重要文化財に、また「白山社社殿」は県宝に指定されています。』

参道入口

ここは普通の石段ですが、この先から岩の段々を上る感じになって、岩山の上の方から参拝客の声がたくさん聞こえてきて、声からして凄く大変そうで・・・

車で行ける道だってあるに違いない、そう思って根性で道を探しました。(その根性で階段のぼれよ)
布引山釈尊寺 本堂

布引観音に来てまず思ったことは、戸隠奥社のように「さざれ石」が多いことでした。本当に多い。
本堂で見かけたのですが、牛に引かれて善光寺参りの布引伝説は、「幻牛伝説」とも言われているようです。

− 幻牛伝説 −
『 牛に引かれて善光寺参り、そんな布引伝説は古くから云い伝えられ訪れる人々に夢とロマンを与えてきました。この伝説は、布引山釈尊寺に伝わる縁起書にあるように信心を持たないおばあさんが牛に姿を変えた観音様に導かれ善光寺までたどり着き今までの欲張りで意地悪な心を悔い改めたと言う心温まる昔話の伝説であります。 この幻牛伝説を通して、人間愛、郷土愛を育み心のよりどころとして、幻牛(ゆめ)街道を多くの人々が訪れ、世に言い伝えていけば、きっと現代の布引伝説が生まれ、伝説のおばあんと牛に姿を変えた布引観音様の御加護があることでしょう。』

布引観音所在地:長野県小諸市大久保2250