妻女山に陣を敷いたものの飲み水がなくて困った謙信が槍の後ろで地面を突いたら水が出たと言われる湧き水です。今は飲用不可だそうです。
祭神は会津比売命で、建御名方命の子で初代の信濃国造の建五百建命の妃です。信州なのに会津なのは、戦国時代まで松代は海津という地名だったので、海津が会津に変化したとも言われているとか。
− 川中島古戦場 妻女山 −
『 ここは、一五六一(永禄四)年九月十日の第四次川中島合戦の折り、越後の上杉謙信が陣を設けた山。
ここから川中島平は一望でき、海津城の動静を伺い知ることができた。
同年九月九日、海津城からもくもくと立ち上る煙を見た謙信は、武田方の戦いの準備を察し、その夜、山を下り千曲川や犀川を渡って八幡原の信玄の本陣を目指した。
その様子をのちに頼山陽(江戸時代の儒学者)が「鞭声粛々、夜河を渡る・・」と詠んでおり、ここから南西約1kmには「雨の宮の渡し」の跡が残っている。
なお、展望台への登り口に「槍突き(尻)の泉」がある。謙信が槍の石突きで突いたところ、水が湧き出たという伝説があり石碑が建っている。』
(案内板より)
会津比売神社の所在地:長野県長野市松代町大字岩野149