生島足島神社

日本総鎮守

本社

本社の扉の奥には御室と呼ばれる内殿があり、内殿には床板がなく大地そのものが御神体(御霊代)として祀られているそうですが、外からは見えません。

宮司以外、中を見ることは禁止されているそうです。
また、本社は北向きに鎮座していて、これも珍しいのですが、本社の北には摂社の諏訪神社が位置し、本社と諏訪神社が向かい合っています。

さらに、本社が向いている北の方角には、皆神山も存在します。
本社の前に「神島・大八洲御魂霊地」と立て札がありました。
日本列島そのものの御魂霊地です。
摂社・諏訪神社の本殿と門

祭神は建御名方富命、八重事代主命、八阪刀賣命。

本社の北に位置し、毎年、諏訪神が生島足島神社の本殿へ移り、お粥を炊いて生島足島神に献供する御籠祭が行われるそうです。
神楽殿

本社と諏訪神社の間にありました。奥に赤い諏訪神社が見えています。
− 生島足島神社本殿内殿 −
『 生島足島神社の歴史は非常に古く、平安時代に制定された延喜式に「生嶋足嶋神社二座名神大社」として記載されています。戦国時代には武田氏や真田氏が信仰を寄せ、江戸時代には歴代上田藩主の厚い庇護を受けてきた由緒ある神社です。

神社境内には、池に囲まれた小島の上に、権現造の本社(昭和十六年)が北面して建ち、それに正対するように摂社諏訪社本殿が建てられています。本殿内殿は、かつては屋外に建てられていましたが、十八世紀後期から十九世紀初期の時期に覆屋としての本殿が建てられ、屋内の内殿となりました。

現在の内殿の規模は、桁行(正面)柱間三間(4.82m)梁行(側面)柱間二間(3.10m)で、屋根は切妻造の厚板張り、(当初は柿葺)です。内部は、向かって左側二間が内陣、右側一間が外陣となっています。外陣は、諏訪大神が半年間、生島・足島両神にご飯を炊いて奉ったところと伝えられ、その伝承を受け継ぐ御籠祭(おこもりさい)と呼ばれる神事が現在も行われています。

内陣の周囲は大部分が板壁で内外陣境に片引き板戸の潜り戸があります。正面中央柱間には片引き戸の戸口がありますが、当初は窓であったと推定されます。また、西妻(右側面)は、現在は壁も戸もない解放状態ですが、当初は向拝が存在したと推定されます。床は、内陣・外陣とも土間となっており、内陣の土間が本神社の御神体とされています。これは、万物を育む大地を神として崇める最も古い神社の形式を伝えるものです。

主要な部材は欅材で、表面は手斧仕上げの上を丁寧に削り磨いています。外面した部材の一部には朱などで彩色した跡が残ります。軸部は、粽・礎盤・大瓶束等を用いた室町時代の様式で、その特徴から建築年代は、天文年間(一五二二〜一五五五)頃と推定されます。』

生島足島神社所在地:長野県上田市下之郷中池西701