信濃国一宮 諏訪大社/上社前宮

諏訪大社の始まりの地

案内板を見ながら参道を進むとここへ。本殿はここから100m上段にあります。

鳥居の左後ろには古代イスラエルの幕屋そっくりな十間廊が。
左の狛犬には角がありました。

古い神社の狛犬には角があることが多く、角のある狛犬はユニコーンを意味しているという説もあります。
鳥居の左方向はこんな感じです。

左は手水舎で、十間廊の前に見えるのは境内の案内図。
十間廊

古代イスラエルが礼拝所として使っていた幕屋と全く同じだと言われています。
十間廊と古代イスラエルの幕屋は、大きさ、方角、使い方など同じで、入口は東、本殿は西で、十間廊の西奥には神輿が、幕屋の西奥にはアークが置かれ祈りが捧げられていたそうです。

− 十間廊(じっけんろう) −
『古くは神原廊と呼ばれ中世まで諏訪祭政の行われた政庁の場ですべての貢物はこの廊上で大祝(おおほうり)の実見に供された。毎年4月15日の「酉の祭(御頭祭)」には鹿の頭75がそなえられたが、これらの鹿の中には必ず耳の裂けた鹿がいることから諏訪七不思議にかぞえられた。上段に大祝の座、次に家老・奉公・五官の座があり、下座に御頭郷役人の座なども定められ、左手の「神小屋」で演じられる舞いを見ながら宴をはった。』
(案内版より)

諏訪大社の御頭祭は旧約聖書のアブラハムとイサクの物語に酷似していて、どちらも場所はモリヤの地であり、子供を生け贄にするため小刀を振り上げると使者が止めに入り、子供は解放され、代わりに動物が生け贄にされます。イスラエルのモリヤの神はヤハウェのことで、モリヤ山で行われる過越祭では75頭の羊が生け贄にされていました。

袖子屋跡

十間廊の南に位置し、案内板には酉の祭(御頭祭)のことが書いてありました。

− 神子屋址(みこやあと) −
『伝天正の古図には神子屋とあり寛政の前宮絵図には舞屋とみえ一般には神楽屋と呼ばれていた。4月15日に執り行われる酉の祭(御頭祭)には五官祝以下、祭に奉仕する村々の御頭役人を従え、大祝が前宮十間廊にのぞみ座に着くと、当日の供物である鹿の頭75頭が供えられる。このとき神子屋にて舞人5名によって舞楽が奏ぜられ、神長官がまず祝詞を申す。現在も神事は存続しているが、略式化され神子屋は衰退し、礎石を残すのみで舞楽は行われなくなった。』
(案内版より)

(左)若御子社 (右)荒玉社

鳥居の右隣に鎮座していました。

− 若御子社 −
『諏訪明神とされる建御名方命の御子達を合祀していると言われる。諏訪大社関係にはきわめて優れた古記録が多いが、その中で最も名高い文書に「諏訪大明神絵詞」がある。室町時代になるこの文書の中に正月一日、大祝以下の神官、氏人はみな衣服をただしてまづこの若宮、すなわち若御子社を荒玉社と共に参詣したとある。現在は諏訪神社の末社となっている。』

− 荒玉社 −
『「新御魂社」とも書き原始農耕の神事として田の神を降し稲の御魂をまつる社で上社の重要な摂社である。古書によれば正月元旦にはまず大祝以下の神官、氏人が参詣し旧暦二月晦日の春祭の最初にあたり神使(こうのと)が出仕して「野出の神事」が行われたとあり現在も続いているが簡単な神事だけになっている。なおこの社の造営は古来より山浦の中村郷であった。』
(案内板より)

内御玉殿

参道を挟んで十間廊の隣に位置していました。

− 内御玉殿 −
『諏訪明神の祖霊がやどると言われる御神宝が安置されていた御殿である。「諏訪明神に神体なく大祝をもって神体となす」と言われたように、諸神事にあたってこの内御玉殿の扉を開かせ、弥栄の鈴をもち眞澄の鏡をかけ馬具をたづさえて現れる大祝はまさに神格をそなえた現身の諏訪明神そのものであった。』
(案内板より)

御室社のケヤキ

− 御室(みむろ)社 −
『中世までは諏訪郡内の諸郷の奉仕によって半地下式の土室が造られ、現神人の大祝や神長官以下の神官が参篭し、蛇形の御体と称する大小のミシャグジ神とともに「穴巣始(あなすはじめ)」といって、冬ごもりをした遺跡地である。旧暦12月22日に「御室入り」をして、翌年3月中旬寅日に御室が撤去されるまで、土室の中で神秘な祭祀が続行されたという。諏訪信仰の中では特殊神事として重要視されていたが、中世以降は惜しくも廃絶した。』
(案内版より)

参道にある「小町屋の中小路」の案内板。

中世、この参道の両側には、大祝直属の家臣たちの屋敷が立ち並んでいたようです。

− 小町屋の中小路 −
『 小町屋集落は前宮を中心として大まかに三本の道筋が通っている。その真ん中を上っていく道を中小路と呼んで、戦前までは一般の人々の前宮本殿への参詣道路であった。 中世の古文書資料等から想定されるところでは、この中小路の両側には、水眼の清流をはさんで、前宮神殿に居館を構えた現人神の上社大祝に直属する家臣たちの屋敷地が建ち並んでいたと思われる。また精進潔斎し、穢れをとって前宮の、神事や祭礼に奉仕する人たちの精進小屋なども設けられていたところで、景観は大事に保存したい。』

前宮本殿。

坂道の参道をのぼると畑の中に本殿がありました。

現在、参道横には民家があり、参道という雰囲気ではないので、ちょっと吃驚します。

諏訪大社上社前宮所在地:長野県茅野市宮川2030