石尊神社

北杜市白州町

拝殿

石段を上りきると正面に拝殿があり、拝殿前は広場になっていました。
祭神は大山祇命と日本武尊。

室町時代創建で、約200年後に再興されたのが荒廃したので、江戸末期に復興したと伝えられているそうですが、拝殿はすべて遠近の信者による寄進だそうです。
拝殿横の不動明王の石像。

眷属の矜迦羅童子(右)と制叱迦童子(左)を従えています。
拝殿前の広場の周囲には、中心を向いた不動明王の眷属の三十六童子の石像が10体くらい、広場を囲んで置かれていました。
拝殿の斜め前方に見える八ヶ岳。

八ヶ岳と言えば、「富士山と八ヶ岳の背くらべ」伝説では八ヶ岳の方が標高が高かったが、負けた富士山に蹴飛ばされて(あるいは叩かれて)八つの峰になったと言われているそうで・・・。
さらに、八ヶ岳の妹の蓼科山がそれを見て泣いて、その涙が溜まったのが諏訪湖だとか。
拝殿と八ヶ岳の間に置かれた、六角形が刻まれた謎の巨石。祭壇のようにも見えます。
この山は軽石の山らしく、社殿の周囲や裏山の岩も見てみましたが軽石で、拝殿前の広場には砕けた軽石が白く広がっていて、石段を上る前の参道の石畳も軽石でできていました。
長い参道の横には、奥に見えるような大きな土盛りがいくつかありましたが、境内を作るため山を切り開いた時の名残なのでしょうか。
相撲の土俵のようです。

昔は近郷に相撲好きな人がたくさんいて、江戸後期の1829年以降、現在の諏訪大社のように相撲が奉納され賑わっていたそうです。

『 文政12年(1829)その筋の上司より甲州相撲目代名取弥惣の書付を賜わり、爾来9月28日の大祭には力士相撲が奉納され近郷より参拝者多くにぎわいを呈していた。』
(案内板より)

半僧坊大権現が祀られていました。

半僧坊とは半分僧侶で半分俗人の僧侶型天狗で、後醍醐天皇の皇子が開いた浜松市の方広寺(禅宗・臨済宗方廣寺派)の守護神です。

石尊神社の所在地:山梨県北杜市白州町鳥原3107