冨士御室浅間神社(旧称・小室浅間明神)

富士山中最古の社

山梨県の河口湖南の湖畔に鎮座する冨士御室(おむろ)浅間神社です。

富士山の吉田登山道二合目の勝山飛地に本宮(奥宮)があり、ここはその里宮で、本宮は富士山中で最古の社だそうです。
ここは武田家の祈願所としても崇敬が厚く、信虎、信玄、勝頼の三代にわたる文書が残っているそうです。

− 別表社 富士御室浅間神社 −
『当神社は、富士山中最古のお宮といわれ、北室浅間堂とも呼ばれていました。文武天皇即位3年(699)4月7日藤原義忠公によりまつられる。延暦19年(800)噴火の為炎上したが、坂上田村麿卿えぞ征服の報賽として造営され、後、幾たびかの修造があり、大永5年(1525)武田信虎公が修復、当社崇敬のあまり甲府古城と当社社門を南北相対向かいしめ、以って朝夕遙拝の便を図り、武田家の祈願所となる。武田信玄公自筆の信玄公ご息女安産祈願文、時刻の座像・武田坐不動明王をはじめ、富士北麓の古代記録「勝山記」等数多く残されている。俵藤原秀郷公、武田の祖新羅三郎義光公より始まる「やぶさめ」は大原七郷の神として奉納されてきた。
勝山村は古い歴史のある村である。』
(案内板より)

社名の「御室」は、かつて祭祀を石柱をめぐらせた中(ストーンサークル)で執り行っていたことによるものだそうです。

富士山中に本宮(奥宮)が祭られた後、そこを基準に付近の浅間神社が建立された形跡があり、それぞれの浅間神社は奥宮から45度や25度の角度で存在し、扇形を形成しているそうです。扇と言えば武田信玄の扇を思い出しますが関係あるのかもしれませんね。

本宮。

鳥居をくぐって参道を進むと右手に本宮が。富士山二合目にあった社殿をここに移築したもので、桃山時代の特色を持つそうです。

− 重要文化財 冨士御室浅間神社本殿 −
『この神社は文武天皇の時代(699)藤原義忠により、富士山に最初にまつられた神社と伝えられている。延暦9年(800)貞観6年(864)富士山大噴火により社殿が炎上し、幾度か再興したが炎上を繰り返した。現在の本殿は、慶長17年(1612)時の領主鳥居土佐守成次公により富士山二合目に造営されたもの。
慶長17年(1612)以来富士山二合目(旧登山道道沿い)にあり、積雪風雨・霧等厳しい気象条件のなかでたびたび修理が行われ、保存に万全を期してきたが、昭和19年スバルラインの出現により旧登山道が荒廃を極めると共に、余りにも厳しい自然条件の中にあり、永久保存が至難であるため昭和48年現在地に移築復元し、昭和49年5月完工、重要文化財の指定を受け現在に至っている。』
(案内板より)

冨士御室浅間神社の所在地:山梨県南都留郡富士河口湖町勝山3951