北口本宮冨士浅間神社

富士北口登山本道入口

山梨県富士吉田市にある別表神社で、日本三奇祭の1つ「吉田の火祭り」が行われる山梨側の富士山登山口です。

現在地は富士吉田駅近くの国道139号線と137号が交差する通称金鳥居(第一鳥居)交差点で、晴れていれば鳥居の向こうに富士山が見えます。

ここは富士スバルラインができて五合目まで自動車で行けるようになるまで賑わった山梨側の登山口であり、江戸時代には富士山を崇拝・参詣する富士講が生まれ大流行し、昔はこの金鳥居から登山口のある北口本宮冨士浅間神社まで宿坊が百軒近く並んでいたそうです。

金鳥居の扁額に「冨士山」とあります。
北口本宮冨士浅間神社の参道。

奥に見えるのが国道沿いの第二鳥居です。

この近くに駐車場がありました。
第三鳥居。別名は富士山大鳥居。両部鳥居です。

木造鳥居としては国内最大で、60年毎に建て替えているそうです。

三国第一山。

この三国とは大和(日本)、支那(中国)、天竺(インド)を意味するそうです。
− 北口本宮冨士浅間神社 −
『 当社は富士山の大噴火を恐れた住民を安んずるため、垂仁天皇の御代、勅命をもって火山鎮護のため木之花咲耶姫命を祀ったのがはじまりとされています。
6月30日は富士山お山開きの前夜祭が行われます。吉田口登山道は当社裏の鳥居を起点としており、そこでお道開きの式が行われ、そこから頂上までおよそ17キロ、最盛期には五合目から上は長蛇の列が続きます。また、8月26日・27日に行われる吉田の火祭は、お山閉いの祭として日本三奇祭の1つに数えられています。』
(右の案内板)

『 当神社は、富士信仰の中心でその起源はすこぶる遠い。社記によれば、景行天皇の40年、日本武尊東征のおり当地を通られ、親しく霊峰富士を拝した大塚丘(神社後方の古跡)に里人が小祠を建て、浅間明神を勧請したことに始まるという。その後延暦7年(788)甲斐守紀朝臣豊庭が現位置に社殿を造営浅間明神を遷座させ、次いで歴代の国主、領主によって造営され漸次現今の壮大な規模となった。
本社本殿・東宮本殿・西宮本殿の三棟は重要文化財の指定を受け、拝殿・幣殿も文化財指定を受けている。なお、社殿の背後から吉田口登山道が富士山頂に向う起点となっており、当社は富士信仰とともに発展してきた。』
(左の案内板)

北口本宮冨士浅間神社所在地:山梨県富士吉田市上吉田5558