大嶽山 那賀都神社

三富

山梨県山梨市にある神社で、埼玉と山梨の県境の雁坂トンネルや広瀬ダムの手前に鎮座しています。

山奥なのでアクセスや地理的条件は悪いですが、霊験あらたかな神様として人気があるので行ってみました。
那賀都神社は秩父方面から行くと、雁坂トンネルを抜けて国道140号線を走り、広瀬ダムを通り過ぎて西に位置しています。140号線から西の脇道に入ると道が狭くなり、看板を頼りに進むと民家の隣に那賀都神社の駐車場がありました。そこから案内板を頼りに民家の間を歩き、那賀都神社まで片道約1キロ、約20分歩きました。
参道入口にあった宮司の像。

社殿の大造営があった明治時代の宮司の像だそうです。
参道の坂道には「朝日坂」や「天狗坂」と名前が書いてありました。

ちょっとこの坂道キツかったです。
参道の下には渓流が流れ、「天狗の滝」と「清浄の滝」がありました。
坂道を登り詰めると鳥居と幟が。

ここからは緩い坂道で、狛犬や天狗の像がありました。那賀都神社では天狗は神の使いです。
橋の向こうに随神門が。
随神門の随身は烏天狗(大天狗・子天狗)でした。

『千早振る神乃御末の我なれば、守り頼もしや那賀都大神』
(案内板より)
拝殿です。

祭神は、大山祇神、大雷神、高オカミ神です。

急な階段なので手摺りがついていました。
約60年前まで、拝殿は女人堂(下拝殿)と称し、ここから上の本殿は女人禁制とされていたそうです。

− 大嶽山 那賀都神社略誌 −

『 人皇12代景行天皇の御代、日本武尊東夷御征定の砌(みぎり)、甲武信越境の時神助を蒙り、佩剣(はいけん)を国司ヶ岳の天狗尾根(2159M)に留め置き、三神を斎き祀る。(現・奥宮)

第40代天武天皇の御代、役行者小角当山(1000M、現・社地)の霊験なるを以て修験道場として開山、不思議にも昼夜連日鳴動す。以来当山を大嶽山鳴渡(なると)ヶ崎と呼び、第44代元正天皇養老元丁巳年(717年)3月18日奥宮より遷座の時も鳴動したと云う。

天平7年行基、観世音像(昭和25年流失)を刻し、「赤の浦 鳴渡ヶ崎に那留神のみゐづや高く 那賀都とは祈る」との神歌を奉じ、是より当社を大嶽山那賀都神社と称した。又、養老元年最澄、天長8年空海相次いで来たり、清浄ヶ滝・座禅岩、下流川浦に絵書石等の行跡を残す。

江戸初期大破に及ぶ事有り小祠となるが、元文5庚申年再建の為、羽黒派修験東叡山支配となり社殿残らず建立す。今の本殿は嘉永3年着工、明治10年竣工、他社殿神楽殿は同35年(流失昭和36年復興)・随神門同37年竣工、何れも甲府三日町の名医 喜多島宗甫氏の奉納。彫刻は都留市谷村の名匠 福田俊秀氏が当社に半生を篭もり手掛けた秀作。拝殿は同43年再建。明治6年村社に列せられ、昭和57年本殿が旧三富村文化財に指定。』
(案内板より)

那賀都神社の所在地:山梨県山梨市三富上釜口617