− 大嶽山 那賀都神社略誌 −
『 人皇12代景行天皇の御代、日本武尊東夷御征定の砌(みぎり)、甲武信越境の時神助を蒙り、佩剣(はいけん)を国司ヶ岳の天狗尾根(2159M)に留め置き、三神を斎き祀る。(現・奥宮)
第40代天武天皇の御代、役行者小角当山(1000M、現・社地)の霊験なるを以て修験道場として開山、不思議にも昼夜連日鳴動す。以来当山を大嶽山鳴渡(なると)ヶ崎と呼び、第44代元正天皇養老元丁巳年(717年)3月18日奥宮より遷座の時も鳴動したと云う。
天平7年行基、観世音像(昭和25年流失)を刻し、「赤の浦 鳴渡ヶ崎に那留神のみゐづや高く 那賀都とは祈る」との神歌を奉じ、是より当社を大嶽山那賀都神社と称した。又、養老元年最澄、天長8年空海相次いで来たり、清浄ヶ滝・座禅岩、下流川浦に絵書石等の行跡を残す。
江戸初期大破に及ぶ事有り小祠となるが、元文5庚申年再建の為、羽黒派修験東叡山支配となり社殿残らず建立す。今の本殿は嘉永3年着工、明治10年竣工、他社殿神楽殿は同35年(流失昭和36年復興)・随神門同37年竣工、何れも甲府三日町の名医 喜多島宗甫氏の奉納。彫刻は都留市谷村の名匠 福田俊秀氏が当社に半生を篭もり手掛けた秀作。拝殿は同43年再建。明治6年村社に列せられ、昭和57年本殿が旧三富村文化財に指定。』
(案内板より)
那賀都神社の所在地:山梨県山梨市三富上釜口617