北口本宮 冨士浅間神社

富士北口登山本道入口

随身門。

門をくぐると正面に神楽殿がありました。門の向こうにちょっと見えてます。
随身門の随身像。櫛磐間戸神(左)、豊磐間戸神(右)
神楽は出雲流の神楽で、戦国時代にはすでに奉納されていたとあります。

− 北口本宮冨士浅間神社太々神楽 −
『 この神楽は戦国時代にはすでに奉納されていたことが古文書等に記されている。現在の形態が確立したのは江戸時代に入ってからと伝えられ、採物舞(とりものまい)を含む出雲流の神楽であり、富士太々神楽と称せられている。富士山の神霊に五穀豊饒を願い、感謝する舞といわれ、また富士導者によって奉納されている神楽でもある。』
(案内板より)

手水舎の案内版。

ここの水は源頼朝が掘ったところから出てきた霊水だそうです。

− 水舎高札 −
『 此の水は、此処から東南1.6キロへだった富士の裾野に湧き出る泉瑞と称される霊水を伏樋でひいたもので往古から當神社の御供水として用いられ、夜増の水といわれる飲料水です。
伝えに、昔右大将・源頼朝が富士野巻狩をされた時、裾野十数里の間、飲むべき清水なく士卒乾きに苦しんだので、公は富士の山神に祈り鞭をあげて巌を掘った処、麗水滾々として涌出したという。これはこの水であり、清く澄み冷たいこと正に天下無類といわれております。』
(案内板より)

本殿です。

主祭神 木花開耶姫命
相殿 彦火之瓊々杵命(夫神) 大山祇命(父神)

この社殿背後から富士山頂に向かう登山道が延びていて、登山者はここに参拝してから登山するそうです。

− 御神徳 −
『 戸無き八尋殿の猛火の中にて皇子を挙げ給う。瓊々杵命詔り給はく「汝くしびにあやしき威さあり子等復ひとにすぐれたるいきほひ有る・・・云々」即ち冨士火山鎮護の神、火防の神、安産授育の神、又産業の神として汎く世に尊崇せられ給う。』
− 雑載 −
『 富士登山のともがらは、本神社参拝の後に登ること往古より変らぬ例とす。』
(案内板より)

北口浅間 東宮本殿

祭神 天津日高彦火火出見命

室町時代の素朴な中に桃山風の優雅さが含まれた建築だそうです。

− 北口本宮富士浅間神社 東宮本殿 −
『 祭神 天津日高彦火火出見命、富士権現とも呼ばれた。貞応二年(一二二三)北条義時の創建とも伝えられるが、現社殿は永禄四年(一五六一)武田信玄が川中島合戦の戦勝祈願として浅間本社として造営したものである。その後文禄三年(一五九四)に浅野氏重、元和元年(一六一五)に鳥居成次が修理し、さらに、慶安二年(一六四九)と延宝六年(一六七八)には秋本氏、享保十九年(一七三四)には村上光清により修理が加えられた。』
(案内板より)

北口浅間 西宮本殿

祭神 天照大神 豊受大神 琴平大神

全体の様式は東宮と同じで、華麗な桃山前期の建築意匠を伝えるそうです。

− 北口本宮富士浅間神社 西宮本殿 −
『 祭神 天照大神、豊受大神、琴平大神、文禄三年(一五九四)谷村城主浅野左衛門佐氏重により東宮に替わる本殿として建立されたが、元和元年(一六一五)鳥居成次の本殿建立により現在地に移され西の宮となった。その後享保十九年(一七三四)村上光清により大修復が行われた。 』
(案内板より)

北口本宮冨士浅間神社所在地:山梨県富士吉田市上吉田5558