筑波山神社

筑波山山頂までが境内

茨城県の筑波山に鎮座している神社です。

神社はこの鳥居をくぐり突き当たり付近まで進むとありますが、神社の境内は筑波山の山頂までを含みます。
赤い鳥居をくぐり門前通りを奥まで行くと筑波山神社入口があります。駐車場は有料です。
筑波神社の参道入口

ガマ祭りの頃だったので飾りが沢山ありました。毎年8月1日に筑波山名物ガマ祭が筑波神社境内を中心に行われるそうです。

奥に鳥居が見えます。
御神橋

三代将軍家光寄進で、安土桃山時代の遺風が残る御神橋。徳川家康は筑波山を江戸城鎮護の霊山と崇めたそうです。

− 御神橋 −
『 天正十八年(一五九○)徳川家康公が江戸城に入城され筑波山を仰いで江戸城鎮護の霊山と崇め給う。寛永十年十一月(一六三三)三代将軍家光公寄進。元禄十五年六月(一七○二)五代将軍綱吉公改修、安土桃山時代の豪壮な遺風が見られる。この御神橋は春秋の御座替祭(四月一日・十一月一日)・年越祭(二月十日十一日)に参拝者の渡橋が許される。』
(案内板より)

参道の階段

ガマ祭ではガマの油売りが行われるそうで、見てみたかったです。
随神門

三代将軍家光公寄進で、二度消失し、文化8年(1811)に再建され、県内随一の規模だそうです。

筑波山神社の境内地はここから山頂までを含み、昔はここから神体山である筑波山を遙拝したそうです。

− 随神門 (八脚楼門) −
『 往古は、これより神体山である筑波山を遙拝したといわれ、今でも自然と社殿とが一つになり神ながらの荘厳さを感じせしめる霊所である。当神社の境内地はこれより山頂を含む約三七○町歩(ha)に及ぶ。』
(案内板より)

随神像

随神門の両側には豊木入日子命と倭建命の像が安置されていました。

− 豊木入日子命 (とよきいりひこ) −
『 筑波山に縁り深い古代武人の一人で第十代崇神天皇の皇子である。命が或夜大和国みもろ山に登って東に向い刀と槍を各八回振る様を夢見られ天皇は霊夢の謎を解き給いて命を東国(木国)に遣わし給う。命は長くこの地を治められ筑波の里で神去り給うたが御遺徳を慕う山西の民により宇都宮二荒山神社に祀られ下毛君・上毛君の祖と仰がれた。五世紀ごろ山東の柿岡に栄えた佐自奴公(さじのきみ)もまた同族である。』

− 倭建命 (やまとたける) −
『 筑波山に縁り深い古代武人の一人で第十二代景行天皇の皇子である。天皇の四十年伊勢神宮に詣でて倭姫命より託された三種の神器の一つのあめのむらくもの剣を奉じて東征に赴き筑波山に登拝し給う。東北の日高見国より還路甲斐国酒折宮にて「にいばり筑波を過ぎて幾夜が寝つる」と詠み給い篝火役の翁が「かかなべて 夜には九の夜日には十日を」と詠い続けた。世に筑波の道と云い連歌の始まりである。』
(案内板より)

筑波山神社所在地:茨城県つくば市筑波1