常陸国一宮 鹿島神宮

鹿島神社の総本社

参道突き当たりの案内板。

右に行くと要石、左に行くと御手洗池です。
松尾芭蕉の句

『俳聖松尾芭蕉が当神宮に参拝したおり詠んだ句(一六八七) 「神前」の前書がある』、とあります。
要石に向かう参道です。突き当たりに要石があります。

香取神宮の要石の場所もそうですが、要石に向かう参道だけ道普請されていない林道でした。要石は地震を封じていると言われているので、勝手にいじってはいけない何かがあるのかな。
地震を発生させるナマズの頭を押さえ込んでいる武甕槌神の姿が彫られています。

鹿島は、中央構造線を龍に例えた場合、龍の頭の部分になるので、要石は龍の頭を押さえつけているとも言われています。
要石を囲んでいる社。屋根がありました。

右の立て札は小林一茶が鹿島で詠んだ句。
 大地震にびくともせぬや 松の花 一茶
小林一茶は文化14年5月26日に鹿島へ詣でこの句を詠んだと書いてありました。

※ Googleストリートビューで鹿島神宮境内が網羅され要石にまで見に行けますが、2014年に撮影された画像では要石を囲む社の屋根がなくなっていました。東日本大震災(311)のとき鹿島神宮は鳥居が倒壊するなど被害が大きかったので、みんなのパワーを要石に送るため境内が見られるようになったのかな?と思ってみたり・・

中央下にポツっとあるのが要石。
鹿島神宮の要石は凹型で、香取神宮の凸型の要石と対になっています。別名を「山の石」「御座石」と言うそうです。

− 要石 −
『 神世の昔、香島の大神が座とされた万葉集にいう石の御座とも、或いは古代における大神奉斎の座位として磐座とも伝えられる霊石である。この石、地を掘るに従って大きさを加え、その極まる所しらずという。水戸黄門仁徳録に、七日七夜掘っても掘りきれずと書かれ、地震押さえの伝説と相俟って著名である。信仰上からは、伊勢の神宮の本殿床下の御柱的存在である。』
(案内板より)

要石の社の隣には松尾芭蕉句碑がありました。

枯枝に鴉(からす)のとまりけり
穐(あき)の暮


『穐は秋の旧字であり、この句はこの地で詠まれた句ではないが、状況が似ているので建てられたものと推察される』、とあります。
参道を戻って御手洗池へ。御手洗池への道は下り坂です。

坂のはじまりのところに茶屋もありました。
御手洗池(長寿水)

この池は、どんな旱魃でも絶えることない霊泉で、池の水温は一定して夏は冷たく冬は温かく感じられるそうです。

− 御手洗(みたらし) −
『 古来、神職並びに参拝者の潔斎の池である。池の水は清く美しく澄み、四時滾々と流れ出てどのような旱魃にも絶えることのない霊泉で、神代の昔御祭神が天曲弓で掘られたとも、宮造りの折一夜にして湧出したとも伝えられ、大人子供によらず水位が乳を越えないという伝説により七不思議の一つに数えられている。大昔は当神社の参道がこの御手洗池を起点として、この池で身を清めてから参拝するので御手洗(みたらし)の名が今に残るのである。』
(案内板より)

御手洗池の近くに、大国主命を祭る所管社「大國社」が鎮座していました。
昔は御手洗池で身を清めてから参拝したため、ここが参道の起点だったそうです。

現在、御手洗池周辺は茶屋のある庭園になっていて、隣に鳥居と無料駐車場がありました。

※ 2011年の東日本大震災でここの鳥居も倒壊しました。

鹿島神宮所在地:茨城県鹿嶋市宮中2306-1