常陸国一宮 鹿島神宮

鹿島神社の総本社

境内を奥に進むと天然記念物「鹿島神宮の森」が続きます。

鹿島神宮の森は、森が到達する極限の状態の「極相林」で、この参道を歩いているとき、浄化されて行くような不思議な気分になりました。

『 鹿島神宮境内約七○ヘクタール(七○町歩)に繁茂する植物は一千種の多種にわたり、特に南限北限の植物が同生して植物学上貴重なため県の天然記念物の指定を受けている。』
(案内板より)

境内案内に鹿島の七不思議が書いてありました。

要石も不思議ですが、川の流れが地中に潜ってしまい、どこに繋がっているのかわからない末無川も不思議です。
参道横に「さざれ石」が祭ってありました。

さざれ石は茨城の神社でよく見かけますが、このさざれ石はレンガ色の石が混じったさざれ石で、ちょっと珍しかったです。
キュンキュン鳴き声がするので行ってみると参道横に鹿園があり、鹿がたくさんいました。

キュ〜〜ン♪て鳴きながら近寄ってきて、超カワイイです。奥の方にもいっぱい見えます。30数頭いるそうです。
鹿島では鹿は神の使いで、奈良の春日大社の鹿も鹿島の鹿を連れて行って今に至るんですよね。

− 神鹿について −
『 鹿島神宮の御祭神である武甕槌大神様のところへ、天照大御神様のご命令を伝えに来られたのが天迦久神という方で、鹿の神霊とされていることから、鹿島神宮のお使いは鹿となっています。
神護景雲元年(西暦七六七年)に、藤原氏は氏神である鹿島の大神の御分霊を奈良にお迎えして春日神社を創建しましたが、そのとき、御分霊を神鹿の背に乗せ、多くの鹿を連れて一年がかりで奈良まで行きました。その鹿の足跡が、東京江戸川区の鹿骨をはじめとして、東海道を三重県の名張まで続いて残っています。
また、鹿島も古くは香島と書いていましたが、養老七年(七二三)ごろから鹿島と書くようになったのは、この鹿との縁によるものでしょう。神鹿は長い間大切に保護されてきおりますが、幾度か新たに導入され、現在の神鹿はかつて鹿島から移った奈良の神鹿の系統を受けています。』
(案内板より)

参道横の熱田社。維新前は七夕社と呼ばれていたそうです。

でも祭神は日本武尊と弟橘姫ではなく素盞嗚命と稲田姫命で、これはおかしい。

宮司曰く、田畑社がいつの間にか七夕社となり祭神を素盞嗚尊と稲田姫命とするようなったと思われるそうです。

− 末社 熱田社 (祭神 素盞嗚尊 稲田姫命)−
『古くは七夕社(或は田畑社)として農業守護の社です。』
(案内板より)

武甕槌大神の荒魂を祭った奥宮です。

参道横に摂社のように建っているので、ここも本殿同様通り過ぎてしまいそうな配置なのですが、なぜ鹿島神宮の社殿はこういう配置なのか謎です。メインが要石だからでしょうか?

− 奥宮 −
『 本宮御祭神の荒魂(分け御魂のことで躍動する魂のこと)を奉祀する。』
− 社殿 −
『 慶長十年(一六○五)に徳川家康公により本宮の社殿として奉建されたが元和五年(一六一九)に二代将軍秀忠によって現在の本宮社殿が奉建されるに当り現在地に引移してオ奥宮社殿となった。』
(案内板より)

鹿島神宮所在地:茨城県鹿嶋市宮中2306-1