− 東照宮 −
『 元和2年(1616)徳川家康は駿府(静岡市)で75年の生涯を閉じた。遺命により、遺体は一旦駿府郊外の久能山に葬られ、翌年下野国日光に改葬された。それより20年の後、社殿は3代家光によって全面的に改築され、今日の東照宮が完成した。当時日光輪王寺と長楽寺の住職を兼ねていた天海は、旧社殿の一部を長楽寺元境内に移築して東照宮を勧請した。当地が徳川氏発祥の地であり、当寺が徳川義季開基とする寺だからである。幕府は、長楽寺をその別当寺としてその管理や祭祀に当らせ、二百石の社領を与え、その社殿の修理や祭祀の費用は幕府の財政によって賄われることになった。桁行五間・梁間三間の拝殿は、日光奥社の拝殿を移したものである。家康の最初の墓標として建てられた多宝塔もここに移され、本地堂(俗に塔の薬師)として、明治初年までその豪華な姿をとどめていた。東照宮の鎮座により地元世良田の住民はもとより、近隣十数か村の住人は、東照宮の火の番を奉仕することによって道中助郷を免除されたり、幕府によって開削された神領用水の利用を許されたり、種々の恩典に俗することができた。』
(案内板より)
− 上番所 −
『 江戸時代、徳川幕府は東照宮を護るため上・下の2ヶ所の番所を設け、昼夜警備に当たらせた。この番所は川南(埼玉県深谷市)の中瀬村他11ヶ村から2〜4人が出仕していた。その代わり、この村々には道中助郷が免ぜられる恩典があった。』
(案内板より)
世良田東照宮の所在地:群馬県太田市世良田町3119-1