小鳥ヶ島の赤城神社は三夜沢赤城神社と二宮赤城神社(里宮)と3社で論社となっています。
多宝塔は鎌倉時代に建てられたもので、以前は小鳥ヶ島の中央にあり、現在の位置に移した際に、10面の古鏡と経筒の残欠が出土したそうです。
− 赤城神社由緒 −
創建年代不詳。昔、第11代崇神天皇の皇子・豊城入彦命が上野国に移ったとき、赤城神社は既に、神庫岳(現・地蔵岳)の中腹に「赤城大明神」と沼神の「赤沼大神」として祀られており、第51代平城天皇の大同元年(806年)に大沼の畔の大洞に遷座。このとき小沼の畔に小沼宮(豊受神社)も建てられる。
徳川時代に入ると赤城神社の相殿に徳川家康が祀られ、将軍家をはじめ諸大名の信仰も厚く、1642年には徳川家光の命により社殿を再建。その後、明治20〜43年の間に、小沼畔の豊受神社、小鳥ヶ島の厳島神社、黒檜山頂の高於神神社はじめ赤城山内の神社が大洞の赤城神社に合祀され、明治45年に大洞から小鳥ヶ島の厳島神社の跡地(現在地)に遷宮し今に至る。
赤城神社の所在地:群馬県前橋市富士見町赤城山4-2