上野国 一之宮貫前神社

日本三大下り宮

拝殿です。
祭神は経津主命と姫大神(比売大神)。

現在の社殿(本殿、拝殿、楼門、東西廻廊)は徳川家光の命による1635年の造営で、1698年、徳川綱吉の命により大修理したそうです。
江戸初期の極彩色総漆塗の精巧な造りで、ユニコーンも描かれています。
本殿

本殿の外見は春日造りですが内部が2階建てで神座は2階部分にあり「貫前造り」という貫前神社独特の社殿形式です。屋根正面の妻の部分には雷神の描かれた窓があり「雷神小窓」と言うそうです。

摂社の抜鉾若御子神社。

『抜鉾若御子神社は安閑天皇の御代に現れたと伝え上野国明神帳に従五位抜鉾若御子明神と記載されている。明治38年に一之宮字若宮の地より現在地に遷座され、現在の社殿は棟札によると文化12年の建立と伝う』
(案内板より)

古書には抜鉾神社と貫前神社2つの名が登場し、最初に記録に登場するのは「上野抜鉾神」ですが、抜鉾神社(ぬきほこじんじゃ)と貫前神社(ぬきさきじんじゃ)なので、別々の神社だったという説と、同じ神社を指すという説があります。

神楽殿

貫前神社の神楽殿は御山と称する神座が設けられているそうです。
宝物館
勅額鳥居(左)と不明門(右)

勅額鳥居は両部鳥居で、清和天皇御染筆の額が掲げられていたことから勅額鳥居といわれ、現在は有栖川宮幟仁親王の額が掲げられているそうです。
不明門はあかずの門で、朱雀天皇の時代の勅使参向の折に建てられたと伝わり、現在では春秋の「御戸開祭」と「流鏑馬神事」の際に開かれるそうです。(合計、1年に3回)

末社の日枝神社と伊勢内宮外宮

日枝神社は近在の氏神の和合神社、諏訪神社、大臣神社、各社を合祀し、大山咋神ほか17柱を祀っているそうです。

伊勢内宮・外宮は境内の天狗沢峰通り字伊勢屋敷に鎮座していたものを徳川家光の時代(1635年)に遷座したそうです。
二十二末社

社領内各地に鎮座していた22の末社を1635年に一棟の社殿に祀ったもの。

末社前は12年ごと(申〜酉年)に行われる式年遷宮祭の御仮殿敷地だそうです。

一之宮貫前神社の所在地:群馬県富岡市一ノ宮1535