本殿の外見は春日造りですが内部が2階建てで神座は2階部分にあり「貫前造り」という貫前神社独特の社殿形式です。屋根正面の妻の部分には雷神の描かれた窓があり「雷神小窓」と言うそうです。
古書には抜鉾神社と貫前神社2つの名が登場し、最初に記録に登場するのは「上野抜鉾神」ですが、抜鉾神社(ぬきほこじんじゃ)と貫前神社(ぬきさきじんじゃ)なので、別々の神社だったという説と、同じ神社を指すという説があります。
勅額鳥居は両部鳥居で、清和天皇御染筆の額が掲げられていたことから勅額鳥居といわれ、現在は有栖川宮幟仁親王の額が掲げられているそうです。
不明門はあかずの門で、朱雀天皇の時代の勅使参向の折に建てられたと伝わり、現在では春秋の「御戸開祭」と「流鏑馬神事」の際に開かれるそうです。(合計、1年に3回)
一之宮貫前神社の所在地:群馬県富岡市一ノ宮1535