石段を上ると真ん前に拝殿があり、御神体は後ろの轟岩なので本殿はありません。岩を削り拝殿をはめ込んでありました。
− 中之嶽神社由緒 − 祭神 倭建尊(日本武尊)外十五柱
『 昔、波胡曽神を山の主と祭られていましたが、倭建尊(日本武尊)が勅命に依り関東御巡行の際に妙義山に登嶽したと伝えれています。
欽明天皇の御代に妙形氏が社殿を建立し、平安末期の後鳥羽天皇の御代(1183年)藤原祐胤卿が鍛冶の名工を得て神剣を奉斉。江戸時代の1616年、加藤長清(道士)が登厳し中興の開山主として神器を守り奉斉し、諸大名が崇敬を寄せ、小幡藩主織田筑前守信久侯が社殿を改築、中之嶽奉行を設け地所を寄進。1720年、小幡藩の鎮守社として奉斉され、織田家の後に入封した松平家の崇敬も篤く親祭された。』
(案内板より)
中之嶽神社の所在地:群馬県甘楽郡下仁田町大字上小坂1248