三夜沢 赤城神社

赤城神社本社

社殿前の石段

石段の手前を左に入ると、神域からの御神水を汲める場所がありました。
御神水の湧水汲み場。

三夜沢赤城神社の湧水は有名な名水で、タンクを持って御神水を汲みに来ている人がたくさんいました。鳥居前にタンクをたくさん積んだ車を止めて、タンクを持って行ったり来たりしてる人も。

拝殿

祭神は大己貴命と豊城入彦命です。
拝殿の隣の神楽殿
天然記念物のたわら杉(本殿南)

− 三夜沢赤城神社のたわら杉(群馬県指定天然記念物) −
『 赤城神社の境内には杉の大木が多数あり、ヒノキやアスナロなどもみられます。中でも目を引くのが中門南側とその西隣にある三本の大木「たわら杉」です。東側のものから、目通り周5.1m、6.1m、4.7m、根元周6m、9.6m、5.6mとなっており、樹高は各々約60mです。これら三本の杉は群馬県内でも最大級のものといえるでしょう。

たわら杉には、「藤原秀郷(俵藤太)が平将門について上野国府(元総社)に来る途中、赤城神社の前を通りかかった際に献木したものである」という伝説が伝えられています。藤原秀郷は藤原鎌足八代の後裔と伝えられ、平将門の乱を平定し、武蔵守・下野守・鎮守府将軍をつとめたとされる平安時代の武将ですが、その実像はあまりわかっていません。
一方、秀郷に関する伝説としては、大ムカデを退治して琵琶湖の龍神を助けた、弓矢の名手にして神仏への崇敬篤い英雄として描く御伽草子「俵藤太物語」が有名です。鎌倉時代、上野国(群馬県)東部から下野国(栃木県)南部にかけての地域は、幕府の弓馬の家として一目を置かれた大武士団の拠点でした。

彼らはともに「秀郷流」を称していましたので、おそらく秀郷がムカデ退治の弓矢の名手「俵藤太」として説話の世界で活躍を始めるのはこのころからです。秀郷流武士団のなかでも赤城神社への信仰が篤かったのは大胡氏でしたが、富岡市一之宮貫前神社境内にある「藤太杉」にも同様な伝説が伝わっていることから、弓矢の名手秀郷へのあこがれは、中世の武将たちに共通する意識だったのかもしれません。

ところで、日光の二荒山神社の縁起では、日光神と戦った赤城神がムカデの姿で表されており、起源を異にする秀郷とムカデと赤城神社が様々な伝承や説話を受け入れながら結びついてきた様子がうかがえます。このように、「たわら杉」とその伝説は、名も無き多くの人々の交流の歴史を伝える遺産であり、赤城神社に対する時代と地域を超えた篤い信仰を象徴しています。』
(案内板より)

本殿の屋根。

本殿は岩だらけの場所にあり岩の上に固定されていて、本殿の裏山は細い木ばかりのスカスカの林で倒れている木も多く、よくある岩山の上の神社という感じでした。

本殿の裏山にあった祠。
他にも祠がたくさんありました。
さざれ石の前の祠。さざれ石を祀っているのかな?

三夜沢赤城神社の所在地:群馬県前橋市三夜沢町114