上総国一宮 玉前神社

春分・秋分レイライン

玉前神社 一の鳥居
千葉県の九十九里浜南端に鎮座している玉前神社の一の鳥居です。

釣ヶ崎海岸で上総十二社祭り(上総の裸祭)の行われる神社で、パワースポットとしても人気があり、神社の裏に駐車場がありました。
九十九里浜
玉前神社の一の鳥居は九十九里浜に向かい真東を向いていて、春分・秋分の日、この方角から太陽が昇ります。

春分・秋分の日、海から昇った太陽と玉前神社の直線を真西に向かうと、寒川神社−富士山頂−敬慎院(七面山)−伊吹山−都久夫須麻神社(琵琶湖)−元伊勢皇大神宮(日室岳)−大神山神社(大山)−荒神谷遺跡−出雲大社と聖地が一直線に並んでいて「ご来光の道」となっています。玉前神社はこのレイラインの東の起点なので関東のパワースポットとしても有名です。

玉前神社 二の鳥居
二の鳥居

境内に入ると参道が少しカーブしていて、途中に二の鳥居がありました。
御神水
二の鳥居の横にあった御神水。ここでお水取りができます。鉄分の多い御神水です。奥に白鳥の井もありました。

〓 白鳥の井 〓
『 この天乃真名井(白鳥の井)は玉前神社創祀のものである。伝によれば日本武尊は東征を果たし都へ帰る途中、伊吹山で敢え無く最期を遂げられた。そして一羽の白鳥と化して弟橘姫命の亡くなったこの上総の地へ飛来した。玉前神社の上空を舞っていたとき一枚の羽がこの井戸へ吸い込まれていった。そのとき突然太東岬の近くにある湖へ一羽の雌の白鳥が現れ上空を舞っていた白鳥を呼ぶのであった。
これを知った白鳥はすぐその湖に飛んでいき湖上の白鳥と仲むつまじく泳いだ。日が沈みかけると白鳥は西の空へと飛んで行き、残った雌の白鳥は弟橘姫命の化身であろうといわれている。以来この井戸を白鳥の井と称されるようになった。
この井戸は太東岬の湖に通じており、いかなる旱魃でも涸れることがない。昭和62年12月17日千葉県東方沖地震によりこの井戸も崩壊したため、ここに改修をして往昔の姿をとどめるものである。』

狛犬
参道の狛犬。狼信仰の神社の狛犬と似ています。
末社 三峯神社
末社 三峯神社

参道の突き当たりに三峯神社が祀られていました。

参道の狛犬が狼っぽいのは三峯神社が狼信仰の中心地だからでしょうか?
両部鳥居
社殿前の両部鳥居

参道を北に曲がると社殿の前に三の鳥居があり、両部鳥居でした。
手水舎
三の鳥居(両部鳥居)の手前の手水舎。
さざれ石
手水舎の奥にはさざれ石が祀ってありました。
拝殿
玉前神社 拝殿

平成の大修理中で拝殿は見えませんでしたが、社殿は南向きです。

祭神は玉依姫命です。
玉前神社 本殿
本殿

玉前神社の社殿は珍しい黒漆塗りの権現造の社殿です。
芭蕉句碑
社殿の西に芭蕉の句碑がありました。

− 芭蕉の句碑 −

『 この碑は表面中央に たかき屋にの御製の有難を今も猶 叡慮にて賑ふたみや庭かまど はせを と大書されている。 はせを は芭蕉のことであり、元禄元年(1688)秋冬の頃の作で、仁徳天皇の聖徳を称えたものである。端には 名にしおはヾ名取草より社宮哉 金波 の句を発句とする表十句を刻んである。

背面には、上部に 無尽言 の題字、その下に百四十九句を刻み、起名庵金並みの芭蕉景仰の漢文銘画あり、左端に 明治紀元戊辰晩秋 催主 千丁 河野五郎兵衛 とあり、上総千町村(現茂原市千町)の俳人起名庵金波 河野五郎兵衛 一門によって建てられたもので、書も金波といわれている。金波は文化元年(1804)岡山の井出家に生れ、俳句を学び起名庵を創始した。嘉永五年(1852)千町村の河野家の養子として迎えられ明治20年84歳で没した。』
(案内板より)

はだしの道
はだしの道

靴を脱いで玉砂利の上を裸足で歩きます。
末社 愛宕神社
十二神社と愛宕ばやし

一宮町内に昔から祀られていた十二社を明治時代に合祀した神社で、信仰の中心は愛宕神社にあり、通称「愛宕さま」と呼ばれているそうです。

右隣に「愛宕ばやし」と書かれた御神輿もありました。
神楽殿
神楽殿
ご神木・なんじゃもんじゃの木
ご神木の「なんじゃもんじゃの木」

− 神木 いす −
『 「なんじゃもんじゃ」とも呼ばれるまんさく科いすの樹で、俗にひょんのき・蚊母樹とも言い、常緑で花も実もつける。古来当社のご神木として崇められてきた。モンゼンイスアブラムシが葉や茎に土で袋状の巣をつくり、虫が飛び出した空き殻は昔の子ども達の笛として遊ばれていた』
(案内板より)

玉前神社所在地:千葉県長生郡一宮町一宮3048