安房国一宮 安房神社

大神宮

房総半島・白浜 野島崎公園
房総半島南端・白浜の野島崎灯台の近くにある野島崎公園から見えた朝日。安房神社はここから房総フラワーラインのある国道410号線を西へ車で数分走り、コメリを右折した突き当たりに鎮座していました。
安房神社鳥居
安房神社の参道入り口

民家の間を走ると見えてくる白い鋼鉄製の神明鳥居。ここから参道になっていて、参道の隣に駐車場がありました。
安房神社 社号標
鳥居横の社号標

東郷平八郎の揮毫によるもので、昭和8年建立だそうです。

ここから参道になっていて、参道の隣に駐車場がありました。
安房神社境内図
車祓所の近くにあった境内図

参道入り口は右端で、左上に本殿の「上の宮」が祀られ、右隣に「下の宮」が祀られていました。
安房神社 御手洗池・神池
参道をまっすぐ進むと右手に大きな御手洗池があり、左手には社務所や神札授与所がありました。
安房神社 手水舎
さらに参道を進むと、参道横に手水舎が。
安房神社 由来
安房神社 由来

安房(あわ)は四国の阿波(あわ)国の忌部氏が開拓した土地なので、「あわ」なのだそうです。

− 安房神社 由緒 −
『房総半島の南端神戸郷に鎮り坐す旧官幣大社安房神社は、天太玉命を主祭神に天比理刀唐配祀として奉斎し、摂社下の宮には天富命を祀る。延喜の制には大社に列せられ、名神祭に預る安房国唯一の由緒深き名社である。
本社の祭神天太玉命は中臣氏の祖神天児屋根命と相並んで天照皇大神が天石窟に御幽居あらせられた時には、天太玉命は天児屋根命と共に大神の出御を祷り遂に再び大御神の天日の如き御威徳を仰ぎ奉られたのである。
安房開拓の神として当社の下の宮に祀られるゝ天富命は、天太玉命の御孫にあたらせられる。天富命は四国の阿波国忌部族の一部を割いて関東地方に大移動を起し、最初に占拠されたのが房総半島の南端、即ち現在の安房神社の鎮座地であって滋に本拠を定めて祖神天太玉命の社を建てた後、次第に内地の方に進みこの半島に麻穀を播殖しその産業地域を広められたのである。安房神社の御祭神は日本産業の総祖神として崇められ更に現在では家内安全、交通安全守護神、厄除開運等、関東地方随一の神社として信仰が厚い。』
(案内板より)

安房神社境内
参道を曲がると、こんな感じで拝殿が見えます。
安房神社の厳島社
末社 厳島社

拝殿前に横たわる巨大な海食岸をくりぬいて祀られていました。

安房神社の社殿ができる前はこの岩を岩座(いわくら)として祭祀が行われていたと考えられているそうです。

安房神社所在地:千葉県館山市大神宮589