長谷山 本土寺

あじさい寺

乳出の御霊水

日像菩薩の誕生水といわれ、多乳を願う嫁御の参拝祈願にもなっているそうです。

− 日像菩薩誕生水 −
『 日蓮大聖人のご遺業である天子のこ教化都の開教を年わづかに13歳で拝命し40年に及ぶ大艱難の末、後醍醐帝により大願を成就され第二の日連と讃えられる日像聖人は文永6年(1269)8月10日この地、平賀家に生誕されました。その時、庭前に湧きでた泉がこの井で、往古より乳出のご霊水と崇められて、あまたの人々がご利益を頂いております。』
(案内板より)

像師堂

「親子相想の日像聖人」と左右に二天が安置され、脇床には子育ての鬼子母神が祀られています。
像師堂の手前に今日庵元夢と藤風庵可長の句碑がありました。

『 藤風庵可長は今日庵の門人で、文化元年(1804年)芭蕉翁の第百拾壱回忌に当り本堂階前に追善句碑を建立した同門の一人であり昭和53年可長の第百六拾参回忌に因み、可長より七代目の子孫、当山総代永妻和男氏が先祖の供養のため、可長の師に当る今日庵元夢の筆跡を表に、可長の句を裏に刻んで、之を建立した。

表 世は夢のみな通ひ路か梅の花 今日庵元夢
裏 秤目にかけるや年の梅椿 藤風庵可長

尚、永妻家は水戸街道の小金宿で古い暖簾を誇る飴の製造業者であった。永妻家の先祖藤風庵可長は今日庵元夢の弟子で馬橋村在住の大川立砂の門人の小林一茶とは同門であった。永妻家には一茶が宿泊したと云われている。』
(案内板より)

藤棚から見える弁天池の弁天堂。

紅葉が色づいてきています。
日像菩薩の石像がありました。
開山門。

本土寺最古の建物だそうです。

『 当山最古、即ち慶応3年(1310)の建物(創立丸柱のみ)でありまして、開祖日朗聖人より当山を預かった日傅上人は師を尊んで聖人の出入以外にはこの扉を開かなかったと言うゆかしいいわれから古来朗師門と稱します。』
(案内板より)

本土寺所在地:千葉県松戸市平賀63