長谷山 本土寺

あじさい寺

本堂

よく見えませんが、階段の奥に本堂があります。紅葉がもっと色づくと綺麗でしょうね。
本堂の手前にあった翁の碑

− 翁の碑 −
『 この句碑は、江戸時代の文化元年(1804)に行われた芭蕉忌を期して建立されたものです。
正面には、この句碑を建立した今日庵元夢とその門人、可長(かちょう)、探翠(たんすい)、一堂(いちどう)、幾来(きらい)、一鄒(いっすう)といった東葛地方の俳人達の名が見れます。ここに名を連ねる一鄒とは、本土寺第39世日浄(にちじょう)上人のことです。本土寺でしばしば「翁会」と称する句会が催され、小林一茶も参加しておりいくつかの句が残されています。碑面には「御命講(ごめいこう)や油のような酒五升」のほかに、芭蕉忌にちなんだ「芭蕉忌に先ずつつがなし菊の花」という句などもあります。』
(案内板より)

家康の側室だった秋山夫人(下山殿)の墓。

− 秋山夫人の墓 −
『 秋山夫人は甲斐の武田一族である秋山虎康の娘で、15才で徳川家康の側室となり、名を於都摩(おつま)の方または、下山の局と称され、家康の第5子万千代君を生んだ。万千代君は後に、武田信吉を名のり天正18年(1590)に、小金城三万石に封ぜられた。秋山夫人はその翌19年10月6日、小金で病死した。現在の墓石は信吉の甥、徳川光圀(水戸光圀)が貞享元年(1684)に建立したものである。』
(案内板より)

本土寺所在地:千葉県松戸市平賀63