下総国一宮 香取神宮

要石と奥宮

要石を囲っている柵。

要石の場所はちょっとわかりにくく、林の中にありました。
要石。

鹿島神宮の要石は凹の形ですが、香取神宮の要石は凸の形で、対になっています。

なんか、この要石、ボコっとカワイイです。
要石近くにある護国神社。

奥宮は要石方面にあるとのことなので、ここが奥宮だと思ってしまったのですが、後で調べたら奥宮は別の場所でした。

次回に期待。

というわけで、奥宮を探しに行って来ました。

通常、県道55号線沿いの大駐車場から長い参道を歩いてこの鳥居にたどり着き、奥に見えている総門に入ります。
総門を入るとこの手水舎があり、右へ行くと楼門や香取神宮の社殿があるのですが、これを左に行くとすぐに別の参道があります。
これが別の参道です。突き当たりに少し見えているのが手水舎近くの壁で、すぐ隣に小さな駐車場があり、その近くに要石もあります。

中央の看板は岩立商店の看板で、とりあえず、参拝後、この道に出て参道を歩いてみました。
歩いているとこの十字路があり、中央の電柱とミラーがある場所は雨乞塚でした。

『ここは聖武天皇天平四年、この地が大旱魃の時、祭壇を設け雨乞いひをした処』と書いてあります。

そして曲がり角の奥をよく見てみると、突き当たりに奥宮を発見!

手前は剣聖飯篠長威斉の墓でした。
岩が積まれた上に祀られているのかな?

お正月だったので香取神宮は超混んでいたのですが、奥宮へ行く人はとても少なくて、この場所に気づかず帰ってしまっているようでした。私もそうだったのですが。

階段を上ると、ここが奥宮です。
祭神は経津主神の荒御魂(あらみたま)

この社殿は昭和48年伊勢神宮遷宮の際の古材によるものだそうです。

この奥宮はなんだか雰囲気が凄く怖くて・・・夕方で暗くなりかけてたし、人がいなかったせいかなとも思ったのですが、殺気のようなヤバさを感じたのでググったら怖いと言ってる人が多くて、ここは凄いパワースポットらしいです。経津主神が主祭神の神社は怖いのかな。上野国一之宮貫前神社の主祭神も経津主神だけど、神事の最中にしゃべると死ぬと伝わる御鎮神事があるし。

手前にあった剣聖飯篠長威斉の墓。

〓 天真正伝神道流始祖飯篠長威斉墓(千葉県指定史跡) 〓
『 天真正伝神道流(香取神道流)は、室町時代に形成され、以来、中条流・影久流・鹿島神道流などが誕生し、わが国最古の権威ある流儀として知られている。始祖である飯篠長威斉家直は、旧飯笹村(現、香取郡多古町飯篠)に生まれ、後に、旧丁子村山崎(現、香取市)に住み、香取神宮境内の梅木山不断所で、剣法の奥儀を極めたと伝えられている。一時、将軍足利義政に仕えたが、帰隠し、長享二年(1488年)四月十五日没した。墓碑は緑泥片岩であり、上部を欠き、高さ九一センチ、幅四九・五センチで、「飯篠伊賀守長威大覚位」の陰刻がある。 』
(案内板より)

お正月だったので要石の周囲にはお賽銭がたくさんあり、要石を囲んでいる柵には要石の解説板もありました。

〓 要石 〓
『 香取、鹿島の大神、往古この地方尚ただよえる国であり、地震が多く地中に住みつく大鯰魚(おおなまず)を抑える為、地中深く石棒をさし込みその頭尾をさし通した。香取は凸形、鹿島は凹形である。
伊能穎則 「あずま路は香取鹿島の二柱うごきなき世をなほまもるらし」 』
(と、書いてあります)

香取神宮所在地:千葉県香取市香取1697