米沢城址(松が岬公園)

上杉謙信

本丸入口です。

この突き当たりに上杉神社が鎮座していました。毘沙門天の旗が掲げられています。
本丸への橋と本丸を囲む堀です。
堀の隣の階段を上ると史蹟・上杉謙信公祠堂跡がありました。
− 上杉謙信祠堂(御堂)跡 −
『江戸時代、上杉謙信の遺骸を安置した御堂(祠堂)が建っていた場所である。謙信は天正6年(1578)3月13日、越後春日山城で逝去、享年49歳であった。その遺骸は甲冑を着せ甕に納め、漆で密閉したと言われている。その後、謙信の跡を継いだ上杉景勝が会津120万石、米沢30万石に移封されるに伴い、謙信の遺骸も移され、米沢城南東隅のこの地に御堂を建て安置した。謙信遺骸の左右には善光寺如来と泥足毘沙門天像が置かれ、その後は歴代藩主の位牌も祀り、最も神聖な場所として厳重かつ鄭重に祀られた。
明治4年の廃藩に際し、仏式を改め神式とし、謙信は上杉神社の祭神として祭られる。謙信の遺骸は、同9年に歴代藩主が眠る御廟所(上杉家墓所)に移された。』
(案内板より)

米沢城址の所在地:山形県米沢市丸の内1