世界遺産 日光の社寺

日光東照宮(3)

唐門

陽明門をくぐると正面にこの唐門があり、奥に拝殿・本殿があります。

江戸時代には大名や将軍に拝謁できる身分の幕臣だけが使えたそうです。

今でも唐門は、正月や大祭などの祭典のときと、国賓に相当する参拝者だけしか使えないそうです。
昇龍降龍と透塀

唐門の柱には唐木の寄木細工で昇龍降龍の彫刻があります。

唐門の左右には本社を囲んでいる塀があり、中が透かし見えるので透塀と言うそうです。
唐門の屋根には「昼の守りの鰭切れの龍」と「夜の守りの恙(つつが)」が飾られています。
唐門の上部には「舜帝朝見の儀」が彫られています。 中央にいるのは中国の伝説上の皇帝「舜帝」で、舜帝は尭帝とともに最も理想の聖人とされる聖天子で、日本の平成という元号は舜帝の「内平外成」の言葉から選ばれています。

伝説によると、尭帝の時代、22年間大洪水が襲い、次の皇帝舜帝が禹に命じ治水工事を行ったそうです。地上が水没した大洪水伝説は世界中にあり、ノアの大洪水もその中の一つです。禹の夏王朝=バビロニア説もありますが。
一本燈籠

唐門横の透塀の前にあります。2代将軍秀忠の5女の和子・東福門院(将軍秀忠公の娘で後水尾天皇の中宮)が奉納したものだそうです。
神輿舎

唐門に向かって左側にあり、春秋渡御祭(千人行列)に使われる三基の神輿が納められています。

春秋渡御祭の正式名称は神輿渡御祭で、三基の神輿には徳川家康(中央)、豊臣秀吉(右)、源頼朝(左)が祭られ、主役はこの三基の神輿だそうです。
神楽殿

唐門に向かって右側にあり、春の大祭では八乙女が神楽を奉納します。八乙女は東照宮が建立される以前は日光三社権現(現在の二荒山神社)に奉仕する巫女で、東照宮に所属してからは定員8名の世襲制だったそうです。
現在の東照宮には八乙女の職制はなく、大祭のときには二荒山神社から手伝いにきてもらうそうです。

日光東照宮所在地:栃木県日光市山内2301