− 祭神及び由緒 −
『 元の官幣大社で、祭神は事代主命・大山祇命であり、事代主命は古来から俗に恵比寿様と唱えて福徳の神として、商工業漁業の崇敬厚く、又、大山祇命は山林農産の守護神として農家の尊崇が厚い。往古からここに御鎮座になり、朝廷の崇敬厚く宮中八神殿に祀られて皇室の守護神として仰がれ、延喜の制には名神大社に列せられ、伊豆国の一宮正一位三嶋大明神として四辺の尊崇が厚い。明治四年官幣大社に列せられた名社である。
源頼朝が伊豆蛭ヶ小島に流寓の際、源家再興を祈願し、覇業になるに及んで益々尊崇篤く、報賽の為に社領神宝を献じ社殿の造営を行ったことは東鑑に明白である。爾来日本総鎮守と仰がれ、鎌倉幕府を始め諸将の崇敬厚く、東海道の要衝にあたって鎮座しているので中世以降は海道筋の名社として名高く、又、箱根の嶮を越える者は必ず当社に参拝して道中安全の祈願を籠めたもので、又、地方の人々も福徳の神・商売繁盛・大漁満足・五穀豊穣の神・交通安全の守護神として大いに尊崇される。』
と、書いてあります。
− たたり石 −
『 この石は大社前旧東海道の中央にあり行き交う人の流れを整理する役目を果たしていた。「たたり」は本来糸のもつれを紡ぐ具であり整理を意味する語である。後に往来煩繁になりこれを取り除こうとすると度に災いがあったと言われ「たたり」が祟りに置き換えて考えられる様になったと言われている。大正三年内務省の道路工事によって掘出され神社に於て此処に据えられた。今日では交通安全の霊石としての信仰がある。』
(案内板より)
− 神池 −
『 天長4年(827)、神池の水が渇れ天下大旱し、神官の訴えにより朝廷は三嶋神殿において澪祭(雨乞)を行わしめた。6月11日〜15日まで大雨が降る。時の帝は当社に圭田を寄せ神官に禄金財帛を賜わった(類聚国史)。元暦2年(1185)8月、源頼朝は神池に於て放生会を行い、その際、糠田郎・長崎郷を三嶋社の科と定めた(吾妻鏡)』
(案内板より)
三島大社所在地:静岡県三島市大宮町二丁目1番5号