創建の年代不詳。鎌倉時代には「水無大菩薩」と称し社僧が奉仕し、近世には「水無大明神」「水無八幡宮」と称したそうです。
戦国時代の戦乱で祭祀が途絶え付近の寺が管理していましたが、元禄年間から吉田神道系の神職が奉仕。1773年の大原騒動の時は水無神社が農民の決起集会の場所となり悲劇が起こりました。
− 稲喰神馬伝説 −
江戸時代初期、村の作物が夜になると黒馬に食い荒らされ、水無神社の神馬が犯人ではないかと村人が噂したので神官が名工を呼んで黒馬の両目をくり貫くと田畑が荒らされなくなったそうです。黒馬は眼が抜かれたようになっていますが、白馬も元は黒馬で数回塗り替えられているとのことです。
水無神社の所在地:岐阜県高山市一之宮町石原5323