『 帰雲城は、寛正の初め(1460年頃)内島上野介為氏によって築かれた城である。四代氏理の時代、天正13年(1585年)旧11月29日、東海・北陸・近畿に及ぶ広範の地域を襲った巨大地震によって帰雲山に大崩壊が起こり、帰雲城とその城下集落が一瞬にして埋没したと伝えられている。埋没前の、帰雲城の位置は確認されていないが、地勢・堆積土砂等からしてこの周辺地域と推測される。
平成11年6月 白川村』
− 内ヶ島 −
『 城主兵庫守、氏理一族が地震の災害にて埋没、御霊祭もなく数百年を過ぎし今日、正一位稲荷大神国常尊を守護神と祀り、帰り雲神社に奉納なした。石に城主の顔が現らわれ、帰り雲の方を見守りて居り、社前の道路上より拝して下さい。』
(と、書いてあります。)
− 帰り雲神社由来 −
『 流れる雲は常にこの山頂に至りもと来た空に帰るという。対岸の帰雲山は、天正13年(1585年)11月29日夜、大地震にて崩壊、時の帰雲城主内ヶ島兵庫頭氏理、主従一族(数百人)と山麓の城下町は一瞬にして、このり地に深く埋没したと伝えられている。祠は、霊夢を感じた平瀬の田口勇一氏と保木脇部落の有志が、地下の霊を弔うため建立された。』
(石碑より)
帰雲城跡所在地:岐阜県大野郡白川村保木脇(ほきわき)