世界遺産 越中五箇山の合掌造り集落

五箇山・相倉地区

相倉地区が国の指定史跡となった記念に建てられた史跡指定記念碑で、相倉地区のほぼ中央にありました。

後ろにあるのは原始合掌造りの家です。
原始合掌造りの家は、昔は住居でしたが今は物置になってるそうです。

江戸時代にはこういった家屋が多くあったため、これを合掌造りの家の原型とする説もあるそうです。

合掌造りの屋根の部分だけで、まさに神聖な正三角形の形。縄文時代の家もこんな感じですよね。
西方道場。

浄土真宗西本願寺派の門徒の道場だそうです。相倉地区には西方道場と東方道場の2つの道場がありました。
想念寺。

浄土真宗大谷派(東本願寺)の道場で、昔は西方道場に対し、東方道場と呼ばれていたそうです。
集落の中に地主神社がありました。江戸時代は薬師堂と言ったそうです。
神社境内下にある廿日石。

どんな大雪の年でも、4月3日の旧節句の日にこの岩が見えれば、あと20日で集落の雪はすべて消えるといわれているそうです。
神社境内には「皇太子殿下歌碑」がありました。

五箇山を おとずれし日の 夕餉時
森に響かう こきりこの唄


皇太子殿下は学習院高等科のとき友達と相倉集落に宿泊し、その後、この歌を詠んだそうです。
こきりこ(筑子)は五箇山の上梨の山里を中心に伝承された古代民謡で、大化改新の頃から田楽として歌い継がれてきたとされています。
秋篠宮殿下も学習院高等科の時に相倉集落の民宿に合宿で泊まったそうです。

そして、「世界に3ヶ所好きな場所があり、その中の一つがこの五箇山だ」と言ったそうです。
秋篠宮殿下は、その後、紀子様も連れてきて、次回は三人で来たいと宿のノートに書き、後に子供も連れてきて、合計4回来ているそうです。

相倉所在地:富山県南砺市相倉