秩父三社 宝登山神社・里宮

秩父・長瀞町

宝登山神社は日本武尊が東国平定の折、宝登山山頂に三柱の神を祀ったのが始まりとされ、宝登山里宮には日本武尊が禊ぎをしたという泉(玉の泉)が残っています。

− 宝登山神社由来 −
『 祭神 神日本磐余彦命、大山祇神、火産霊神
当社は、約1900年の昔、日本武尊が東北地方平定のみぎり、宝登山々頂に皇祖神武天皇・山の神・火の神をお祀りされたのがはじめと伝えられています。
尊が登山に先立ち、みそぎをされた「玉の泉」は今も社殿の後に残っています。
また、登山の途中山火事のため進退きわまった時、多くの巨犬が現れて火を消し止め、尊をお助けしたことから、古くは火止山と表わし、後世宝登山と改称しました。
なお、この巨犬は神様のお使いで御眷属と呼ばれ、火災盗難除・方災除・諸難除の御神徳が殊の外高く、更に宝の山に登るとの名前から商売繁盛・諸願成就の祈願も盛んです。』
(案内版より)

玉の泉(たまのいずみ)

日本武尊が宝登山に登るとき禊ぎをした泉だそうです。本殿の北西の角にあります。柵の内側にあるので見落とす人が多いかも。

告・投銭禁止

投銭すると金属の化学変化で水が濁るので玉の泉には投銭禁止です。
日本武尊社

玉の泉の北(本殿の後ろ)には日本武尊を祭った社が鎮座していました。

八十八夜の奥宮祭には、ここから御神霊を神輿に乗せて奥宮へ向かうそうです。

− 日本武尊社のいわれ −
『 このお宮には第十二代景行天皇の皇子の日本武尊がお祀りされています。東国平定の折、この山の神秘な雰囲気と美しい姿に心ひかれた尊は、艱難辛苦の末山頂に立たれ、この地を祀るに相応しいところとされ、宝登山神社の礎とされました。
尊の恩徳を偲ぶ人々は、尊が登山の際、身をお浄めになった泉近くに、このお宮を奉齋しました。
日本武尊社のお祭りは八十八夜(五月二日)に行われ、尊の登頂の故事に倣い、神輿に奉遷された御神霊は奥宮に赴き祭典が齋行され、神楽が奉奏されます。この祭りは別名「つつじ祭り」と呼ばれ、秩父地方の農耕始めの目安となっているほか、宝登山の山開きとなる当日の山頂は参拝者やハイカーで大いに賑わいます。』
(案内板より)

宝登山神社所在地:埼玉県秩父郡長瀞町長瀞1828